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ラジオ体操

見たこともない虫が机の端で死んでいた。

その虫を見つけたのは「先生」がラジオ体操のテープレコーダーの再生ボタンを押してから2、3秒経ってからだった。
カラカラと乾いた音をたてながら、中の重い車輪が回り始める。

「先生」は水色のジャージのズボンの中にシャツが入っているかを確認するために、人差し指でゴムバンドを伸ばしている。
それがポンっと腹にあたって気持ち悪い音が辺りに響いた時、あおむけになっていた虫の足の一本が少し動いたような気がした。

私は、昨日の夜に起きたことをもう一度頭の中で整理しようとしていた。


ピアノが軽快に鍵盤をたたく。
イチ、ニイ、サン、シ、イチ、ニ、サン、シ、

ふりあげた片手の先がすぐとなりにいた「先生」のそでに触れた。
一瞬、「先生」が動きをやめてこちらを見たが、すぐに元の体操に戻った。
もう一度、「先生」が私の方を見た時、私は突然デジャヴのような世界に陥った。

「その次は「先生」が私を殺しにくるよ」
ふいに頭の中から声が聞こえた気がした。
男の低い声だった。
動揺しまいと、ラジオ体操に集中する。

てあしのうんどう!
指先まで針金が入ったように伸ばす、伸ばす、伸ばすんだ。

ななめうえにおおきく、おおきく、おおきく。
弾みをつけて、ねじるうんどう、ねじる、ねじる。
しょうめんでほい、ほい、ほい。

なぜかこだまするテープレコーダーの音を聞きながら、私は「先生」の視線を感じている。
私は目を合わせないようにまっすぐ正面を見ているが、まだ「先生」がこちらを見ている。
「先生」の視線が私の鼻の辺りから、下におりてくるのがわかる。

私はその虫の足が何本あるのか数えてみる。
イチ、ニ、サン、シ、イチ、ニ、サン、シ、

「先生」の視線が胸元から尻に向かってなぞってくる。
虫の足は短いものも入れて全部で15本あった。
ラジオ体操のかすれたピアノの音色としゃがれた中年男の声が部屋中に響いている。

昨日の夜、私は何をしたというのか。
なぜ、私はあんなところにいたのか、思い出せない。
私はひどく酔っていた。

「殺されるよ」
今度ははっきり聞こえた。
とっさに死にたくないと思った。
きっと、この「先生」の声だ。
祈るように、「先生」を見た。

はい!うしろそり、そり、そり。

「先生」の背中はブリッジを描き、頭が床につきそうなくらいに曲げていたので「先生」の表情が分からない。

そうだ、私は昨日神社にいた。赤い鳥居をくぐったのを覚えている。
そこで何を見たのか。
写真、フラッシュが私に向けてたかれていた。
そのせいか白い光が私の記憶のあらゆる隙間に挟まっていて、写真の早送りのようだ。

銅像、砂、赤い鳥居、七五三縄、蛇、爪、青い花びら、虫、虫、虫。

どんな虫だったか、そこに横たわっている虫だったか、こんな虫だったような気がする。
「先生」の視線は私の尻で止まっている。
ラジオ体操のピアノは急にテンポが早くなり、そこにいた全員が飛び跳ねて地面が揺れた。
「先生」は視線を尻に向けたまま飛び跳ねている。
イチ、ニ、サン、シ、イチ、ニ、サン、シ、
あしをもどしてりょうあしとび、とび、とび!

私はなぜここにいるのか。
私はどうして「先生」に殺されるのか。
私はどうやってこの虫になれるのか。

視線、視線、視線。

15本もの足がある死んだ虫を見る私を見る「先生」が飛んでいるラジオ体操のリズムに合わせて動く私が思い出す死んだ虫が横たわる机の前で飛ぶ「先生」が見る私が見る死んだ虫になりたい私が思い出す赤い鳥居の前で死んだ「先生」に殺された私が聞こえる声を聞く私を見る「先生」が殺したい、私は虫だ。

はい、深呼吸!
「先生」が最後にそう叫んだ。
大きく息を吸い込んでいきます。

イチ、ニ、サン、シ、イチ、ニ、サン、シ、

 

そうか、私は「先生」が好きでたまらないんだ、と息を吐きながら、そう思った。