テレサ(Cello) part1

2009.04.26 Sunday 01:20
また、夏がやってきたのだ。

早いものでここに住むようになってから今年でもう十三回目の夏を迎える。そういえば、あの時も同じように、こんな暑い日に遠い空で浮かぶ白い雲をぼんやりと眺めていた。 
あの時と違うのは、私が住んでいる場所がまったく変わった言語を話すことと、あの時よりも幾分、年を取ってしまったということだけだった。

古くなったチェロはあれ以来弾いていない。誰も触れることのない黒い沈黙に包まれ、くたびれた壁にもたれながら眠っている。すっかり錆びた四本の弦の上には、蜘蛛さえ出ていってしまった時間の経過だけがこんこんと降り積もっている。
私はそのチェロが置いていった時を眺めていると、ものすごくぼんやりしてしまう。

時々、その上に手をかざしてみる。ひんやりとしたその空間は、沈黙を守り抜いて静かにもてあました時間を殺していた。

もしもあの時、私があの男に何か言ってやれれば、彼は何も失うことはなかったんだろうと思う。それよりももっと大切なものがあって彼がそうしてしまったという事実がその理由としてあるのだが、結局のところ、私は何もできなかったように思える。誰も動かせないような決断がしっかりと彼の奥底で根をはり、立派な葉をつけ、青々とした果実が成っていた。それが自然と熟して落下し死んでいくことは、私自身とは全く関係のないところで行われている一つの自然のサイクルにすぎなかった。たまたま、そこにいた私は砂煙に巻かれて、うっすらとそれを見てしまっただけだった。

しかし、一般的に人はそれを「関係」という。ただの傍観者でさえ、映像や音としての情報が自分の中に入ってくるだけで、その瞬間からそこにある実態に「関係」を持ってしまう。ただそれは受身だけの「関係」なのだが、それに応じて何かしらの反応をそこに示してしまうとその「関係」は確かなものになり、少なからずその相手の世界に影響を与えてしまう。
私はどちらかというと、彼に出会う前にそういうことは熟知していた。そして、そういうことに対してとても慎重だったと言ってもいい。

だからその頃、私は決して他人の発した情報を受け入れようとしなかったし、私自身からも誰に対してもあらゆる「関係」を完全に遮断した。例えば、顔の表情を変えないように、毎朝化粧する時間を短くして、代わりに長い時間あごや頬の筋肉を丁寧にほぐしていたし、人と話す時も、イライラした言葉を並べ立てて口が切れそうなぐらいに早口にしゃべるようにした。しぐさや癖も自分なりに調節しながら、新しいことをテレビや新聞などで研究しながら自分自身のものとして作り変え、取り入れていった。


社会ではなるべく目立たないように心がけた。どうしても「関係」を作らないと生活できないような相手とは、なるべくうまくやった。まず境界線をまっすぐに引き、シンプルな言葉を選び、シンプルな相槌をうち、シンプルな情報の交換を行った。その相手は相手にしかすぎなかった。私と相手、私と何か、私と石でも会話は成り立ちそうな気がした。それに気づいた相手は顔を不思議な形に歪め、居心地悪そうに私から去っていった。そういった私の生活は、私をある程度孤独にさせたが、昔のような他人に期待したり他人に自分を見出したりしなくなった分、洞穴のような空虚感を味わうことは少なくなった。私は自分で自分の世界を築き、そこに生きていた。外部と内部に分け、その繋がりを持たないように常に心がけていた。

何もすることがない日には、海岸に出掛け、石を集めた。なるべく丸くて小さい石を集めた。そして、その石を大きいものから順に一つずつ、ゆっくりと積み上げていくのが何よりも楽しかった。不安定に積み上げていく危険とスリルに満ちたそのゲームは、バランスを失い、崩れ落ちた時が一番興奮した。崩れていく瞬間に何度もフラッシュバックのような断片的な映像を脳裏に見た。晴れやかに野原を駆けていく子供たちの笑顔や、豚を解剖する時の実験画像や、何千万という人々がイスラム教の式典に同時に集まってくる時の映像などを、リアルに、そして一瞬に見た。それらは私を幾らか圧倒し、抑制し、崩れ落ちていった後にはオルガズムを終えた時のように私の精神を安定させた。その快感は破壊だった。今まで一生懸命に積み上げてきたものが音を立てて一瞬で崩れて行く姿は、あまりにも滑稽で、おかしかった。そして、何度もリセットされていく石たちと時間を比較し、私は私とその石とその物事の破壊の繋がりについて考えてみてみると、そこには破壊における爽快感にその深い「関係」の結び目を見つけることができた。


あの男に出会った時、彼は私のその破壊に対しての定義を何度も褒めてくれていた。