ピンクの象 2

この世で大切なもの3本目に入るケイタイをなくしてしまったあたしは、タクシーを降りるなりまずケイタイショップを探した。入るといきなり、若くて胸の大きい女の子がいかにもあなたを待っていましたみたいな笑顔でいらっしゃいませえ!と目の前で叫んだので、頭の奥のほうがチクッと痛んだ。でも、こういう時によく使う店員の作り笑顔は嫌いだったけど、その女の子は全然そういう風に見えないくらい、カワイイ笑顔をしてあたしの目を直視した。あ、このコセックス好きだろうなと思って、それから色々説明されてたけど、ずっとこのコはどんなセックスするんだろうとか、男にはどんな声で甘えたり喘ぎ声を出したりしてるんだろうとか、そんなことをずっと彼女の大きい目をみながら妄想してた。あの、お客様はどこにお住まいですか?と記載書類を指差しながら、あたしを上目遣いで見ている。あたしと寝たいんだろうかと瞬間的に思った。レズ経験は高校以来だったけど、このコなら最高にエッチなことができるかもしれないな。

あたしはこの近くだよ、すぐそこ、ほら、あのコンビニの隣のマンションの4階だよ。あ、そうなんだ、あたしもこのすぐなんですよ、へえ、何されてる方なんですか?え?あたし?そうだねえ、しいていうなら肉体労働だよ、ええ?にくたいろうどう?みえなあい、あ、そうか、にくたいってそっちの、あ、いやすみません、ごめんなさい、わたし、あ、え?そんなわけない、あれ?ど、どんなにくたいろうどうなんですか?

今わかったくせに、と彼女のあわてぶりをみて、ニヤニヤした。この子、いじめたい。

柱に縛りつけながら大きく股を広げさせてパンツの上から押し上げるようにバイブを擦り付けたい。

え?あ、そうですか、大変ですね、じゃここにはそこの会社名と、勤務期間を書いていただけますか?あ、はい、そこです。

あたしは会社名に「デリバリーヘルス 不思議の國のアリス」と大きく書いた。

彼女が、3年も、と小さくつぶやいたのを聞き逃さなかった。その時が全世界の変態サディスト女王がムチを握りしめた瞬間だった。

あ?なになに?だめなの?は?いちいちうるさい子だね、なんなの?バカにしてんの?それとも風俗をしらないの?セックスを売ってるの、好きでもない禿げたおっさんのチンコくわえておいしいおいしいっていいながら股をひろげて、あたし濡れてるの!とか言う仕事、しってるよね?なに?それをバカにしてるんでしょ?あたしは仕事なんだよ、あんたみたいにこんなところで気に入られた客に電話番号教えられて、のこのこついていくようなバカじゃないんだよ、そこでなにするんだ?え?あんたみたいにさみしいからセックスしてるやつとはちがうんだ、金も愛ももらえないただの豚だ、ヤリマンだ、あばずれだ、ばーか、なんでわかるんだって?あんたはそんな顔してるよ、毎日毎日セックスしてますって顔してるよ、あんたの髪、あそこの汁の匂いがする。

くせえよ、って言って、髪を掴んで床に倒した。女は今にも泣きそうな顔であたしを上目で見た。全身でゾクッとした。あたしの魂みたいなのが、波のように向こうの方からやってきて全身の隅々まで鳥肌がたって、不思議な涙が出た。殺してやれ、と誰かが言った気がした。


女の短いスカートがめくれ、紫の下着とツヤツヤした二本の足が露になった。あたしはヒールを履いていたから、その先端で床に転がっている女の内側の太ももを思いっきり踏んでやった。オルガズムを迎えたときのようなさけび声が部屋中にこだまして、またあたしの中で何かが爆発した。

おい、そこでつったってる男、あたってるだろ?あたしの言ってることあたってるだろっていってんだよ、あんたもこの女とやったんだろ?

こいつ、くさいだろ?おい、お前、ちょっとこっちに来て裸になれ、お前もやったんならくさいだろうから、裸になってあたしがみてやる。

何も言わない眼鏡の男はちょっと笑っているように見えたけど、あれはたぶんビビってたんだろうな。口が半開きになって前歯がムキッと出て丸い団子鼻はヒクヒクと痙攣していた。

あたしはあとちょっとだと思った。あとちょっとであたしは世界中の変態が崇拝するサドの女王になれる。すべての変態があたしの言葉で支配され、あたしの靴先をペロペロ舐めるんだ。有り難く思え、人間どもよ、あたしの前でひれ伏せ。二度と動けないように固いロープで縛ってやる。

男はすぐにベルトをカチャカチャ動かして、ズボンを下ろし固く突起した先端を出した。

おい、ふざけんなよ、誰がお前の汚いチンコまで見せろっていったよ?ボッキするなんて10年はやいんだよ、ばかやろう、

それで机に置いてあったペン立てか何かをその男のアレに向かって振りかぶって投げつけた。あたし、絶対よけるか手で防ぐかと思ったのに、思いっきり角があそこに当たって赤いのがプシューって、あれはウケたな、そのまんまばったりなもんで女はきゃあきゃあいいやがるし、ああめんどくせえって、でもあとから考えたらコントだな、まったく。最後は散々だったけど、変態女王様ごっこは自分でもけっこううまくいったと思った。


店を出たら野次馬どもが集まってて、数人のおばさんが思いっきりおびえた顔でこっちを見ながらこそこそ話していた。こいつらは本当に病気だな。昔はもてはやされてやりまくっていた女が老いていくのは病気になるのと同じだ。だから、こいつらは不幸な話が大好きだ。自分よりも不幸だと思う人間を踏み台にしなければ生きていけない。こんな女どもにはなりたくない、本当になりたくない。


家に帰ったら、2週間分ぐらいの郵便物が町中のゴミ箱のようにグチャグチャと箱に詰まっていた。いっそ燃やしてしまおうかと思ってライターを取り出したところで、赤と青の枠で囲まれた国際郵便と書かれた手紙が目にとまった。なに?あたし、海外になんか友達いないよとつぶやいてから、雨でペラペラになった手紙を引っこ抜いた。TO MEGUMI なんだこれ?あたしの名前しか書かれてないじゃん。どこからだろ、裏を見ても何も書かれてない。海外までデリヘルはできないしなあ、一人でクスクス笑いながら玄関の前で無造作に封を開けて中身を出した瞬間に倒れそうになった。一枚の写真にあの朝までセックスしなかった男が写っていた。走馬灯のように男の息づかいや、脇の匂いまでが頭の中をかけめぐった。さっきまで世界中から崇拝されるサドの女王まで上り詰めていた自分から、一気に小さな汚い黒い虫になったような気がして発狂しそうになった。

あたしはなんてばかなんだろ。彼はあたしを捨ててなかったんだ、そうだよ、あれだけ愛し合ったんだから、あたしを初めて本気にさせたんだから、もうあたしはすぐに裏切られたなんて思っちゃうから、彼も本気なんだ、あたしを必要としてるんだ。

その時人の心というのがどこにあるかわかった。この震えるような胸の中にいる生き物が器官を通って口から出てきそうになったからだ。心が踊っている。細胞が走りたがっている。ここではないどこかへ、何もかも置いて飛んでいきそうになった。あたしはそれにとてもついていけない。

急に自分が心底汚れているような気がして、この一枚の肌を引き裂いてどろどろの液体を吐き出したくなった。シャワーだ、あたしは今猛烈にシャワーを浴びたいのだ。いっそそのまま水に一体化してどこまでも流れていきたい。あたしはゆっくり渦を巻いてそのまま排水溝の下へと溶けていく、陰毛や精液の掃き溜めのような下水道のドラム缶を流れ、あたしはあなたのもとへゆっくりと流れていく。


一人で玄関のドアの前にずっとうずくまっていたことなんて覚えていないのに、そのあたしの前でものすごい形相した男女が金属バットを持って立っていたことなんて知る由もなかった。

彼らは金属バットの先端を朦朧としているあたしの口の中にねじ込み、中へ入れと叫んだ。あ、やばいと思ったのは彼らがさっきのケイタイショップの従業員たちだったからだ。自然に笑いがこみ上げてきたが、ここで笑ったら殺されるなと思ってずっと下を向いて顔の歪みをかみ殺していた。鍵を差し出すと、アレを必死で手で押さえていた男の方が奪い取ってカチャカチャやり始めた。その姿がトイレを急いでいるような姿に見えて、たまらなくなって吹き出してしまった。その瞬間カチャカチャという音が止まり、あたしの髪が掴まれ次の瞬間視界が揺れて気を失った。